2026-08-06 社内 times の思い出
times についての記事を見かけたので、社内の Slack で times をやったときの思い出的な。ぼくは Twitter もずっとやっていたし、自分を working out loud のおばけみたいなもんだと思っていたのだけど、いろいろあってやめてしまったので、記憶を頼りに。
まず channel から抜けづらい。抜けるときにメッセージが出る (?) からか。構造的に良くない。付き合いやらなんやらで入ることを強制される空気があったりもする。あとは「何人がはいっているか」を人気ランキングか何かと勘違いしているクッソくだらない人間も出たりする。アホくさ。 mute はできるはずだし問題ないかもしれないけど。「嫌なら見るな (抜けろ) 」が成立しづらく健全でない。
「〜を書くな」が出てくる。それならもう times やらなくていいだろと思う。書いてほしいのかほしくないのか分からない状況にすべきでないと思う。必要事項・公的な事項をやりとりするなら公的な場所でやればいいんだから、公的でない雑多なものを書くのにちょうどいい場所であるべきだろうと、ぼくは思う。便所の落書きみたいなもので、どんなに重要なことが書いてあっても無視していいと思う。見ていなくて当然のものとして扱えばいい。あれを書くな、これを書くな、文字でやるな (?) 。アホくさ。あと「〜を書くな」は直接ではなくルールとしてトップダウンであったり陰口的な形など意味の分からない経路でくる。ぼくは直接的に返信したり「〜を書くべきでないのでは」を自分の times に書けばいいのではなどと思う。思うが、そういうコミュニケーションを良しとしない人も居る。それがいろいろな人間の居る会社という場であり、社内 times とはそういう場にあるものなんだろうという理解で居る。
心理的安全性がどうとか。アホくさ。いや、アホくさくはないんだけど、「心理的安全性」という単語が飛び交う環境は、そも心理的安全性に何かしらの問題がある環境なので、というアレ。アホくさ。こういう会社に限ってコミュニケーションがーとか出勤がーとか言う。アホくさ。落書きノートに大義が要るか? やるべきと思うならやれ。やるべきでないと思うならやるな。見たいと思うなら見ればいいし、見たくないなら見なくていいし、それで何かで不利になったりしない、そういうものであるべきだと思う。
今日のコミット。
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