2015-11-13 『チャーリーとチョコレート工場』をみた
映画『チャーリーとチョコレート工場』
『チャーリーとチョコレート工場』を観た。
いまひとつすっきりしない。
ふたつの理由がある。チャーリー以外の工場見学者への扱いと、チャーリーへの妬みだ。
まずチャーリー以外の工場見学者への罰が重すぎる。工場見学に参加した子どもたちやその親は確かに気に入らないところはあるけれど、受けている罰が重すぎるように感じる。一部の人間にひどい障害が残っていて、どうにも笑えない。
ぼくはチャーリーが気に食わない。その理由で重要なことはチャーリーははじめから幸せだったということだ。
終盤のウィリーの靴を磨くシーンで、チャーリーがウィリーに対して最初は憧れたけど実際には大したことなかったといった旨のことを話す。これは「すっぱいぶどう」ではなくて、文字通りそう感じたのだとぼくは思う。チャーリーは、工場見学を経て「家族は工場やそこから得られる富よりも優先すべき」という自身の価値観を再認識し、それと逆の価値観を持つウィリーを大したことない人間だと評した。ぼくは、この時点でチャーリーは既に「はじめから幸せだった」ことを認識していると考えている。
この価値観でもってウィリーに説教をたれる。運良くウィリーにはそれにハマるような後ろめたい過去があった。ウィリーはチャーリーに説得され父親と和解し、チャーリーの家族を工場に迎え入れ、ウィリー自身がチャーリーの家族の一員のようになる。最終的にチャーリーはおまけで工場を手に入れる。
工場に入る際にウィリーに運がいいだけのガキ扱いされていたが、まさにそのとおりだと感じる。境遇による苦労はあるが彼ははじめから幸せだった。そこから運良くチケットを手に入れ、運良く説教をたれた相手が工場をくれた。
ぼくは成功の条件は運 (努力できる才能も含めて) だと思っているし、自分の価値観を大切にするのも良いことだと思うし、子どもでそれをやってのけるのも良い。うらやましいし、ねたましい。
それらをふまえてまとめると、この映画は、はじめから幸せで運がいいだけのガキが説教たれて工場 (巨万の富) をも手に入れるというストーリーだ。そのついでに気に食わない人間を必要以上に貶めて障害者にする。
チャーリーははじめから幸せだった。幸せを再認識したあと工場をも手に入れた。ウィリーは父親と和解し家族を手に入れた。そして、この物語でウィリーの気まぐれに巻き込まれて不幸になった子どもたちはどうなったのか……。
物語はあたかもハッピーエンドのように終わる。だけど、ぼくはいまひとつすっきりしない。
Splatoon 30 min/d
ボーイの amiibo のチャレンジをプレイしている。今日が最終日 5 行目。22, 24, 26, LAST BOSS をクリア。ヒーローローラーレプリカをを手に入れた。 LAST BOSS は最終形態でタイミングが合わず 3 ミスしてはじめからやりなおした。 30 min を超えてしまった。
ガチマッチはなし。
comic 1 episode/d
ヒストリエ (28) エウメネスがバトとバトル。サテュラと良い雰囲気。同時にティオス市の第一実力者の息子との許嫁設定がでてきた。村とティオス市との関係のひとつらしい。ジョスとクレドが殺されたことをきっかけにティオス市に向かう。サテュラが「ギリシア人の町に行ってもちゃんと戻ってきなよ?」と声をかけている。これは危なそうだ……。
ナルト (369) 拷問の続き。ペインはすごいという設定が語られる。
会社の飲み会
歓迎会やら何やらを 4 つほど兼ねた会だった。
お店は 具~たらkitchen 賛飲家 (ぐーたらきっちん さんのみや) 。
ただ特に中身のない話しかしていないな。たとえば 13 日の金曜日だとか。
うーん。 RALLY はもっとパッと見で良いアプリにならないとダメだよな……。そのためにはどこから着手するのがいいのだろう。