2026-01-13 良いソフトウェアをつくりたい
「何がしたいのか」をたずねられたとき、ぼくは「良いソフトウェアをつくりたい」と答えるようにしている。調べてみると blog.bouzuya.net では 2024-04-06 の転職後 1 年のふりかえり記事の中でもこの言葉を書いている。いつからかは分からないが、ぼくはこの考え方を大切にしている。
今日、こんなことを書くきっかけは、昨日 (2026-01-12) は 2026 年の個人開発の方針 v0.1 を書いたが、その背景として自分がどうしたいのかを書こうとしてもいいのではないかと思ったからだ。会社の MVV: Mission Vision Value のような、ぼくの軸となるような何かをすこしでも明文化しておくことは、昨日の方針と同様に、迷わない・ブレない判断に近づけるように思うからだ。
「良いソフトウェアをつくりたい」とは何か。
まず「良いソフトウェア」というイマイチはっきりしないものがある。
そのときどきで変化するところはあるが、おおむねぼくの考える「良いソフトウェア」は、関わる人を幸せに (良く) し、それ以外を極端に悪くしないものだ。関わる人には使う人だけではなくつくる人や売る人なども含む。それ以外についても触れるのは「自分たちさえ良ければいい」は良くないからだ。こういう当たり前のことは触れないとたびたび無視されるからだ。
関わる人は使う人だけではないが「使う」ことは大切だ。世の中のソフトウェアの大部分は使われない。使われないものは無駄なものだ。学習のためなどでつくる場合は過程・機会自体がある種の「使う」に値する。無駄なものを「つくる」ことは無駄だ。その無駄にお金をかけるのは「売る」人にとって無駄だ。みんなが幸せになるためには、使われるものをなるべく無駄なくつくることだ。使うと良くなる。良くなるから使う。使われるからつくる。使われ売れるからつくる。こういうものが噛み合って良い世界になる。これは単純化された理想論かもしれないが、自分が幸せで、それ以外もなるべく幸せなほうがいい。自分だけが幸せだとろくなことはない。このあたりは「なさけはひとのためならず」にもつながる。この言葉についてもいずれ書く。品質を定義するときにも機能性のような、課題を解決できる (役に立つ) のかが出てくる。まず使い手にとって使う価値を持つことが大切だ。
良いソフトウェアに続く言葉はそれを「つくりたい」だ。
たとえば「ほしい」ではない。ぼくは完成したモノがほしいわけではない。「つくりたい」。ぼくはソフトウェアをつくるのが楽しい。ドリルという手段ではなく穴という結果だけを求める人も居るが、ドリルで穴を開けたくてドリルを買う人も居るはずだ。ぼくは後者の穴を開けるのが楽しい側の人間だ。ドリルだとブレてしまうが、プラモデルやジグソーパズルならもっと当てはまるはずだ。ジグソーパズルの完成品がほしい人は少ないはずだ。ぼくは未完成のジグソーパズルがほしい側の人間だ。ジグソーパズルを組み立てるのが楽しい側の人間だ。この「つくりたい」は、ぼくの本質の一部だ。「何を楽しいと感じるか」とたずねられたときの答えのひとつが「ソフトウェアをつくること」だ。ソフトウェアをつくるのが楽しい。淡々と、ときにはハマりながら、つくるのが楽しい。期待通りに動くと嬉しい。
なぜソフトウェアなのか、なぜソフトウェアをつくるなのか。そういった部分にはぼくの過去の経緯があるわけだけど、そこはここでは書かない。ともかく、ぼくはソフトウェアをつくるのが楽しくて、それを学んできて、そのための能力を持っている。それを活かしたい。……というか活かしている。現にそれによって生計を立てている。生きている。ぼくはソフトウェアをつくることで生きている。
「良いソフトウェアをつくりたい」はぼくと社会の交わる地点だと思っている。ぼくの楽しいと社会の役に立つが噛み合う地点だ。『千と千尋の神隠し』で「働かせてください」と千尋は連呼する。この社会で「良いソフトウェアをつくりたい」とぼくは唱える。それがぼくの利害と社会の利害が噛み合うところだからだ。
今日のコミット。