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2025-10-15 ごまかしながら生きている

例によって (2025-10-02) 上の子が「楽しくない」と言うので、夜の散歩をした。

上の子はまだ小学校一年生なのに、ぼくがずっと大きくなってから感じたような悩みを既に持っているようだ。ぼくは小学校の頃は毎日が楽しかった。ぼくの成長が遅いだけかもしれない。上の子は何年か前までの純粋な笑顔ではなく曇った表情で浮かない様子なので心配している。ぼくにも何かできないか、なんとかできないかと考えている。

役に立つかは分からないが、何が楽しくないのかを聞き、その過程で、それと比べて楽しいものを見つける手伝いをした。「一番楽しくないもの決定戦」をやった。楽しくないものと楽しくないものを戦わせると、一番楽しくないもの以外は一番楽しくないものよりは楽しいものになる。そういうある種の遊びをした。競争は嫌いだが、その構造に使いみちはある。

どう捉えられたかは分からない。そんなことに意味はないと思われたかもしれない。それでも発想の転換での「ごまかしを覚える」のは生きるのを楽にするために良いことだとぼくは思う。そういう考え方もあるんだと知って、引き出しにしまってほしいと思う。ある日ふと思い出して、それが役に立ってほしいと思う。

ほかにもただモヤモヤとしているよりは、散歩しながらでも言葉にしてみようとするとか、誰かに聞いてもらうことなどは良いことだとぼくは思う。こういう相手を見つけるのは難しい。誰にとっても難しい。せめて、ぼくはぼくの子どもたちにとっての、気兼ねなく話せる、たまったものを吐き出せるゴミ箱になれると嬉しい。ぼくはゴミ箱になりたい。

ぼくは人との付き合いが上手ではないので、ちょうどいい相手をうまく見つけることができなかったし、頭が固くて要領よく前向きに物事を捉えることができなかった。いまでもそうだと思う。それでも歳をとって、昔よりは、少なくとも小学校一年生の子どもよりは多くの引き出しを持っていて、うまくやれるつもりだ。ネガティブであることをネガティブに思わなくなったし、聞くことの大切さも頭では分かるくらいには成長している。

悩ましくはあるけれど、そういう悩みが生まれるくらいには成長しているんだと、いまの状況を前向きに捉えられるような言葉にして吐き出している。ここに。ごまかしながら生きている。


下の子は「ひとりぼっち」を「しろぼっち」と言う。言葉も行動も表情も、こちらはまだまだバカっぽいので、安心する。


今日のコミット。