2025-05-09 数値目標を設定することで生じる歪み
東京からの帰りの新幹線。
ぼくがいま所属している会社では 11 月が期末だ。 6 月は 3Q の開始月であり下期の開始月だ。そしてその前月ということは目標設定について考える時期ということだ。リーダーのローテーション制を提案し、ぼくは交代したので直接的にその責任を負う立場にはないが、メンバーもリーダーと同様にその目標について向き合うべきだと考える。背景はどうでもいい、要するに目標設定について考えている、ということだ。
ぼくは目標設定のたびに「数値目標を設定することで生じる歪み」を気にしている。それは数値目標を設定した瞬間から、数値の達成が目標になることだ。そりゃそうだ。数値の達成それ自体が目標になって、本来の目的やあるべき姿が目標でなくなってしまうことを気にしている。
数値は良い。 SMART の法則で言うところの、 Specific と Measurable をまとめて満たせる。良いんだけど、数値を上げるために動きはじめると「なんだかな……」という気持ちになってしまう。この「なんだかな……」を言語化したい。
一度、言い切ろう。ぼくの中では、数値は「結果であるべきだ」と思っている。直接的に働きかけるものではなくて何かをした結果として自然に得られるものであってほしい。「果実」と言うと良いかもしれない。何かが(果)実を結ぶから結果だ。果実は直接的に無から生み出すようなものではなくて、水やりだのなんだのといった行動をしたその自然な結果として出てくるものだ。実際の農家は果実を得るためにやっているわけだから、たとえとしてはまだ「なんだかな……」かもしれないけど。
数値に対しての不自然なハックが嫌なのかもしれない。
もっと自然の力にまかせたい。自然と力が働くような「しくみ」にこそ目を向けて欲しいのかもしれない。
手の力でこいでも船は進むが、帆をはって風の力が自然と働くようなしくみをつくることが評価されてほしい。短期的には手でこいでたどり着く数値かもしれない。ただ長期的には自然と数値が達成できるようなしくみこそ重要になるはずだ。
数値は良い。でも、それは結果であるべきだ。そういう視点を見失わないように進めたい。
全体的になんだか詩的な感じになってしまった。疲れているんだ、きっと。
今日のコミット。
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