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2025-01-28 「ストイックすぎるふりかえり」について思うこと

寒い。

なぜそんなことを書くんだと言われると、具体的には書かないのだけど、「ストイックすぎるふりかえり」って多くの人に受け入れられるやり方ではないと思う。

「ストイックすぎるふりかえり」って何かって、「これが悪かったから改善しよう」が大部分を占めているようなふりかえりのこと。

たぶん正しくはある。悪いところを改めて、改善を繰り返して、そういうことを積み重ねて良くしていくんだ、という主張は正しくはあると思う。正論だ。

一方で多くの人は正しくないだろうとぼくは思う。良いことは続かないくせに悪いことはすぐ習慣化するもんだ。過去の職場には「体に悪いから美味いんだ」と力説する先輩社員も居た。名言だ。

だから、ぼくは多くの正しくない人にとって正しい「ストイックすぎるふりかえり」はついていけないものだと思う。例えが適切かは分からないけど、修行僧か筋トレマニアみたいな、自分を追い込んで気持ちよくなれるごく一部の人たちのふるまいだと思う。

スタートアップだからそういう尖ったことができないとダメだという主張は正しいが、残念ながら正しくない人のほうが多いし、正しい人だけを採るのは難しい。

「じゃあ、どうしたらいいんだ」って。もうちょっとだけ緩めればいい。ちょっとしたことが効いたりする。

たとえば「こういう点は良かったね」ということを言い合う。

これを見て「くだらない」って思うかもしれない。でも、ぼくはそういうことが大切なんだと思う。悪く言えば「傷をなめあう」ようなふるまいかもしれないが、人間は機械じゃないから、お世辞と分かっていてもほめられると気持ちがいいもんだし、大したことじゃないと分かっていても「できたね」「良かったね」を聞くとうれしい・楽しい気持ちになるものだ。そういう気持ち・体験を積み重ねることで楽しく続けられる環境ができていくんだと思う。

悪かった点と同じくらいに、良かった点を見る。できなかったことの反省と同じくらいに、できたことをきちんと評価する。

ほかには「今週もうまく行かなかったけど、そういうときもあるよ」と無理をしすぎず、妥協する。

いつもいつもうまく行くわけじゃない。安定して成果を出すのが得意な人もいれば、短期的には安定しないけど長期で見れば良い成果を出す人も居る。あんまりせっかちに改めようとするのではなくて、ちょっと様子を見てみる。無理に追い込むのではなく、自然と変化できるくらいにする。

そういう「ちょうど良い」を模索する。

ぼくは「ストイックすぎるふりかえり」を「仕事だから」で強制するようなやり方はできれば避けたほうがいいと思う。ものによってはどうしてもできないこともあるだろうけど、「ストイックすぎるふりかえり」なんてのはちょっとした工夫で避けられるものだ、悪い仕組み・方法から来るものだと、ぼくは思う。

できたことを評価して楽しく続けられるようにしよう、ゆっくりとちょうど良いペースで改善していこう。


今日のコミット。