2015-05-22 bouzuya/kraken のリファクタリング
週ぶり (shuburi) 2015-W21
今日も昨日 (2015-05-21) に引き続き blog.bouzuya.net の React 対応。 bouzuya/kraken のリメイクを続けている。
今日はクラスの切り出し。リファクタリング。テストコードを用意していないので原理主義者っぽい人には「それをリファクタリングとは言わない」とお叱りを受けそうだけど。見通しが悪いメソッドを別クラスに切り出す。
fs-extra
を導入したので一部のコードを簡素化できた。
この数日は作業時間をほとんどとれていない。進捗が悪い。今週中にはデプロイしたいので明日中に仕上げたい。
その他
前職の面々と夕食をとる。焼き肉を食べカラオケに行く。食欲はなく声は出なかった。
転職から数年を経たけれど彼らには大きな変化は見られない。少なくとも見た目には。
後輩が転職するらしい。理由をざっとは聞いたのだけれど本当のところはよく分からない。「自分でなくてもできる仕事にやりがいを感じない」とか「その職場に自分がいる意味を見いだせない」とかうまく説明できないけれどそういうことだろうとぼくは勝手ながら思う。ぼくは誰がどこに居ても良いと思う。むしろひとつの会社に固執するのは健全でないと思う。前向きにがんばってほしいと応援している。
給与が上がるというのはうらやましい限りだ。ぼくは「自由はきくが給与は少ない職場」に居るから。その自由を活かせているかとかぼくの転職は成功だったのかとかそういうことを考えてしまう。大きい会社でもないし将来も不安だ。そういうものだと割り切るしかないのだけれど何をしてもしなくても年を経ていくのだから焦るのも仕方ない。
じゃあどうすればいいのかというところで早い話が安心できるだけの別の収入を確保すればいいのだけどぼくはそれがうまくできない平凡な人間のひとりで居る。少なくとも現状は。ずっとサラリーマンでそれ以上の何かであったことがない。自分の能力がゼロだとは思わないがそれを直接的にお金に結びつけていく能力はほとんどゼロだ。
週ぶり (shuburi) は一体どこに向けたものなのだろう。そこで身につけたものがお金につながるのか。ひとり読書会 (hitoridokusho) は一体どこに向けたものなのだろう。そこで読んだ本がお金につながるのか。
そういえばそういう考えかたに対して最近お叱りを受けたところだった。直接的につながるものなんてほとんどない。何がお金につながるか分からないという話だったような。価値とか価値観とか自分の価値とか会社の価値とかそういう話。
価値は目に見えないけどお金なら目に見えるんだよね。それに実際の価値とお金との対応はすごくあやふやで石ころでもお金にできる人は居るだろうしその逆もある。
もやもやしてきたのでやめる。