2012-10-22 諦めたら
「たらればは嫌い」と言われたことはないけれど、そこそこに聞く。
ぼくは独り言が多い。そして友達が少ない。友達が少ないから独り言が多いのか、独り言が多いから友達が少ないのか、あるいはそのどちらでもないのか。友達はそれかどうかの判断が難しいが、独り言はそれかどうかの判断が易しいので、独り言ばかりカウントアップされるのかもしれない。言い訳である。
ぼくの独り言はいらだちを何もないところにぶつけたものであるか、あるいは誰かとのやりとりを想定しているかのいずれかである。前者は短気なぼくが怒らないようにやってしまっていることで、後者は気弱なぼくが気後れしないためにやってしまっていることだ。
仕事中にぶつぶつとやることもあれば、風呂でひとりでやっていることもある。こうやって文字にして説明すると、不気味で、陰気で、どうしようもない。
そもそも、このブログ自体が独り言の寄せ集めである。
今日ぼくは「諦めたら」と友人に提案された想定で考えごとをしていた。引くに引けない場面で諦めるように諭された場合、相手によるだろうけど、今回は引くに引けないその理由をいかに大げさに語るかという点を大切にした。
「ぼくがこれと決めたことを諦める人間だったら、きっとぼくはもう既に死んでいてここに居ない」などと大げさに相手を煽ってみたけれど、気恥ずかしいばかりで、どんどん崖へと追いつめられている心地がした。逆に素直に「諦めた」と宣言した後、行動として諦めない素振りを照れ隠しのように見せるのはどうかとも考えたが、実際以上に自分を小さく感じられて、迷った。
諦めないという結論は変えず、それらしく見えるロジックや、いかにそれを示すかというレトリックの練習と言えば聞こえは良いが、実際のところはただの妄想野郎であり、心底、気持ちが悪い。そして、それが故に、ぼくは諦めざるを得ない状況に追いつめられていることを踏まえると一刻も早くやめるべきではあるが、くせであるし、相談できる友達も居ないのでやめられない。
友達ができたら、あるいは独り言をやめられればという妄想をすると、最後には口をつぐんで、立ち尽すよりほか、ぼくには何もできないように思う。
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